そういえば京都の話。一ヶ月前の話だけども、時系列なんて全ての事象に対して平等に訪れる言わば摂理と呼ぶに等しい現象なんだ…!違う、こんなこと言いたいんじゃない。時系列なんて無視無視です。タイムトラベラー。今回京都に行って一番の収穫だなーって思ったことは、禅の教えをちょっと学べたことなんですよ。向こうってタクシーの運ちゃんにお金を払うと一日運転+ガイドまでしてくれるっていうステキシステムがあるんですけど、僕の前に居たおばあちゃん達が、ちょうどそのシステムを利用してましてね。いろいろとおもしろい話を聞けたワケです。たとえば石庭で有名な竜安寺というお寺があるんですけど、ココのお庭には15個の石が配置されているのです。でも、このお庭のどこから眺めても、石の配置の関係で15個同時に見ることは決してできないそうです。ていうか実際チャレンジしたけどできなかった。んでね、このお寺で修行してる人は、この石が15個見えるまで修行するんだって。でも見えないんですよどうあがいたって。てことでつまり、一生修行し続けなさいよってことらしいです。ドMです。他にも心字池ってので似たような教えがあるんですけど、つまり、ドMです。

 …いや違う、そんな話をしたいんじゃない。まぁそれだけだったらドMで終わってしまう禅宗ですけど、その運ちゃんから、良い禅宗の教えを二つ聞くことができました。一つは、「莫妄想」。莫ってのは、「〜すんな」って意味らしいです。なので莫妄想は、妄想すんなってこと。Mとか言ってすいません。想うのは良いけど、妄想はダメなのです。運ちゃんはこのことを、ストーカーに例えて非常にわかりやすく説明してくれました。つか、話うますぎる、京都の運ちゃん。あともう一つは「吾只足知」吾、只、足を知る、もう十分満足してるんだってことを自覚しなさいよって意味です。「腹八分目がちょうどいい。もっと、もっとはあかんのよ」と言ってました。うちの教授に教えてやりたいこの言葉。

 たった二つの言葉だけど、この二つを真摯に受け止めて実行し続けるだけで、ちゃんと生きられるような気がしました。そんないい話。メガネっ娘が好き。